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名古屋地方裁判所 昭和61年(ワ)1855号 判決

原告 伊藤義一

右訴訟代理人弁護士 宮田陸奥男

被告 鬼頭晋也

右訴訟代理人弁護士 塩見渉

主文

一  被告は、原告に対し、金八四〇万九九二三円及びこれに対する昭和五九年九月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金三九三七万二八一〇円及びこれに対する昭和五九年九月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

昭和五九年九月七日午後八時一三分ころ、名古屋市中区新栄三丁目一六番七号先道路上において、訴外伊藤菊義(以下「訴外菊義」という。)が右道路を横断しようとしたところ、被告運転の普通乗用自動車(以下「被告車」という。)が訴外菊義に衝突した(以下「本件事故」という。)。

2  責任原因

被告は、本件事故当時、被告車を自己のため運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条に基づき損害賠償責任を負う。

3  訴外菊義の受傷及び死亡

(一) 訴外菊義は、本件事故により左大腿骨々折、頭部打撲傷、脳挫傷、右膝蓋骨々折、右第二、三、四中足骨々折の傷害を負い、昭和五九年九月七日から昭和六〇年一月一三日まで市川病院に入院し、同月一四日同病院に通院した。

(二) 訴外菊義は、本件事故前に肺結核の既応症があり、勝又病院において投薬治療を受けていたが、事故当時は極めて安定した状態にあった。

ところが、本件事故により前記重傷を負い、市川病院で外科的治療を受けていた間、鎮痛剤の投与などで胃腸障害をおこし、結核の投薬治療を十分行うことができなかったため、同病院を退院直後、結核が急激に増悪し、昭和六〇年一月一四日から勝又病院に入院して治療を受けたが、同年四月一六日吐血による心不全のため死亡するに至った。

したがって、訴外菊義の死亡は、本件事故による前記傷害が誘因となっていることは明らかであり、本件事故と死亡との間には相当因果関係がある。

4  損害

(一) 治療費 二四七万七四一〇円

(二) 付添看護料 九一万一二二〇円

(三) 入院雑費 一二万三六〇〇円

(四) 葬祭費 一〇〇万円

(五) 休業損害 八七万七一〇〇円

訴外菊義は、本件事故当時アルバイト防水工として事故前三か月間の月平均一二万五三〇〇円の収入を得ていたが、本件事故のため七か月間休業を余儀なくされた。

(六) 逸失利益 一三九八万三四八〇円

一か月一二万五三〇〇円、年収一五〇万三六〇〇円を基礎とし、生活費を四〇パーセント控除し、就労可能な二四年(新ホフマン係数一五・五)の逸失利益を算定すると、次の計算式のとおり一三九八万三四八〇円となる。

1,503,600×(1-0.4)×15.5=13,983,480

(七) 慰謝料 二〇〇〇万円

(八) 合計 三九三七万二八一〇円

5  相続

原告は、訴外菊義の唯一の相続人であり、右損害賠償請求権を相続により全部取得した。

よって、原告は、被告に対し、右金三九三七万二八一〇円及びこれに対する本件事故の翌日である昭和五九年九月八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は明らかに争わない。

3  同3(一)の事実のうち、訴外菊義の受傷及び治療経過は、右第二、三、四中足骨々折を除き認めるが、右第二、三、四中足骨々折と本件事故との因果関係は不知。

同3(二)のうち、訴外菊義の死亡と本件事故との因果関係は否認する。同人の死亡は、かねてからの持病の肺結核によるものであり、本件事故による受傷を原因とするものではない。

4  同4の損害は、死亡を前提とする(四)葬祭費及び(六)逸失利益は否認し、傷害の限度で以下のとおり認める。

(一) (一)治療費、(二)付添看護料及び(三)入院雑費は全部認める。

(二) (五)休業損害は、事故日から死亡日までの二二二日間について、訴外菊義の事故前の生活扶助費月額三万七六九〇円を基礎に算定すると、次の計算式のとおり二七万八九〇六円となる。

37,690×222÷30=278,906

(三) (七)慰謝料は、重傷の入院七・五か月として二一六万円が相当である。

(四) 以上の損害額を合計すると、五九五万一一三六円となる。

5  同5の事実のうち、訴外菊義の相続人が原告のみであることは認めるが、損害賠償請求権の存在は否認する。

三  抗弁

1  過失相殺

本件事故現場は、街路灯が点在するだけの比較的暗い場所であり、しかも本件道路は、片側三車線の幹線道路で通常交通量も多いところであるが、被告車が時速五〇ないし六〇キロメートルで第二車線を北から南へ向かって進行していたところ、訴外菊義が歩道寄りの車線上の駐車車両の陰から道路を横切るように飛び出してきたため、被告車と衝突したものである。したがって、被告には予見可能性も回避可能性も乏しく、訴外菊義の過失を斟酌して八割の過失相殺をすべきである。

2  弁済

被告は、訴外菊義に対し、損害の賠償として四二八万九五四五円を支払った。

したがって、被告の認定した前記損害額に右過失相殺をした残額金一一九万〇二二七円は既に全部てん補済である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は争う。

本件事故の主要な原因は、被告の速度超過(時速四〇キロメートル制限のところを七〇キロメートルで進行した。)と脇見運転にある。

なお、訴外菊義が歩道寄りの車線上の駐車車両の陰から横断を開始したとしても、本件事故現場の道路両側には新旧市営住宅があり、中央分離帯の切れ目を横断する歩行者を予測することは十分可能であるし、衝突地点が第二車線中央部(歩道から約六メートルの地点)であることからしても、被告が訴外菊義を事前に発見することは十分可能であった。

2  同2の弁済の事実は明らかに争わない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1(事故の発生)事実は当事者間に争いがなく、同2(責任原因)の事実は被告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

同3(一)のうち、訴外菊義が本件事故により左大腿骨々折、頭部打撲症、脳挫傷、右膝蓋骨々折の傷害を負い、昭和五九年九月七日から昭和六〇年一月一三日まで市川病院に入院し、同月一四日同病院に通院したことは当事者間に争いがなく、訴外菊義が本件事故により右第二、三、四中足骨々折の傷害を負ったことは、《証拠省略》によってこれを認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

二  そこで、本件事故と訴外菊義の死亡との因果関係について判断する。

1  《証拠省略》を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  訴外菊義は、昭和一六年七月一〇日生まれ(事故当時四三歳)の男子で、昭和三五年ころ肺結核を患い、名古屋市内の城西病院に約一年入院し、左肺の切除、胸廓整形手術を受け、その後梅森光風園に約半年入院し、さらに神原医院に通院して治療を受け、その間昭和四〇年ころ結婚し、原告が誕生した。そして、訴外菊義は、昭和五六年四月一三日から名古屋市内の勝又病院に数か月入院し、その後は同病院に通院して結核治療薬の投与を受けて治療を継続していたが、昭和五八年一〇月ころには痰も出なくなり、結核菌の培養検査も陰性で非常に安定した健康状態にあり、名古屋市中区の結核審査会から同月一一日には治療は中止し経過観察とするようにとの意見が出されるほどであった。

(二)  訴外菊義は、本件事故により前記傷害を負い、市川病院に入院して外科的治療を受けていたが、リファンピシン、エサンプトール等の結核治療薬は、姉のよし子又は兄に依頼して勝又病院から届けてもらっていた。訴外菊義は、市川病院に入院中、体の痛み、特に足の痛みを訴え、眠れない日もあり、市川病院から出される外科的治療薬を三~四種類、勝又病院から出される結核治療薬を三~四種類、さらに睡眠薬も加わり、胃腸障害を起こしたため、結核治療薬を十分に服用できないような状態であった。また、訴外菊義は、本件事故前は非常に安定した健康状態にあり、防水工のアルバイトもできるほどであったので、結核治療薬を十分服用しないと結核が急激に増悪するものとは予想できず、薬の服用を怠りがちとなっていた。

(三)  訴外菊義は、昭和六〇年一月一三日市川病院の退院を許可され、自宅に戻ったが、翌一四日大喀血を起こし、勝又病院に緊急入院したが、入院当時は血痰が続き、培養菌検査も陽性となるなど、本件事故前とは全く様変りの状態で、症状は急激に増悪していた。

また、訴外菊義は、市川病院退院時に骨折治療の必要上腰から足にかけて金具が入れられていたが、勝又病院に入院してからもそのせいもあってか足の痛みを大声で訴えるなどし、薬も十分受けつけないほどの状態であった。そして、同年四月一六日訴外菊義は、同病院における治療の甲斐もなく、喀血による心不全のため死亡した。

2  《証拠省略》によれば、勝又病院の勝又医師は、訴外菊義の死亡の原因について、直接の原因は肺結核が増悪し、喀血による心不全を起こしたことにあるが、本件事故のため足の痛みがひどく、外科入院中の肺結核の治療が不十分となったことが昭和六〇年一月一四日の大喀血を招いたものであり、本件事故がなく、肺結核の治療を継続していれば死亡することはなかったであろうと判断していることが認められる。

3  以上の事実に照らすと、訴外菊義は、本件事故前は勝又病院から出される結核治療薬の服用は継続していたものの、防水工として勤務できるほど非常に安定した健康状態にあったこと、しかるに、本件事故に遭い、前記の骨折等の重傷を負い、外科的治療を受けるのと並行して結核治療薬も服用していたが、骨折による痛みがひどく、また多種類の薬を服用するため胃腸障害を起こしたため、結核治療薬の服用が不十分となったこと、その結果本件事故前には予想もできないほど結核が急激に増悪し、昭和六〇年一月一四日の大喀血を招いたというべきである。

なお、訴外菊義が結核治療薬を十分服用しなかった点については、《証拠省略》によれば、訴外菊義にもそれほど増悪することはないであろうとの気のゆるみもあったものと推認しうるが、本件事故前は非常に安定した健康状態であったことと、同人が市川病院に入院している間、勝又医師による厳重な指導がなされる機会もないため、訴外菊義が専門的な病状の知識を十分持たず、結核の急激な増悪を予測できなかったこともあながち無理からぬことであることにかんがみると、これを訴外菊義の自過失としてすべて同人にその責を帰することは相当とはいえないであろう。

そうすると、結局、本件事故が誘因となり、事故による入院期間中に、訴外菊義に存した肺結核の素因が入院前には予想もできないほど急激に増悪し、退院直後に大喀血を生じ、以後専門的な結核治療を施したものの回復しえず、死亡の結果を招いたということができるので、本件事故と訴外菊義の死亡との間に相当因果関係の存在を肯定することができる。

4  もっとも、死の直接の原因がもともと訴外菊義に存した肺結核にあることは明らかであり、また、同人が気のゆるみから結核治療薬の服用努力を必ずしも十分に行わなかったともみられること等を考慮すると、死亡による損害については、その寄与度に応じ、過失相殺の法理の類推適用により五割の減額をするのが相当である。

5  なお、《証拠省略》によれば、本件に関し、自賠責保険の調査事務所において、事故と死亡との相当因果関係は認められないとの判定をしていることが認められるが、本訴においてこれを裏づける客観的資料が提出されているわけでもなく、直ちに採用することはできないし、他に前記認定を覆すに足りる資料も存しない。

三  請求原因4(損害)について判断する。

1  傷害による損害

(一)  治療費二四七万七四一〇円、付添看護料九一万一二二〇円、入院雑費一二万三六〇〇円については当事者間に争いがない。

(二)  休業損害

《証拠省略》によれは、訴外菊義は、本件事故直前の昭和五九年六月から八月までの三か月間に北川防水工業所のアルバイト防水工として勤務し、日当八〇〇〇円で一か月に一五ないし一七日出勤し、一か月平均約一二万五三〇〇円の収入を得ていたことが認められるので、事故日から死亡日までの間、少なくとも原告主張の七か月分八七万七一〇〇円の休業損害を被ったものと認めることができる(なお、厳密には、昭和六〇年一月一四日以降の勝又病院の入院期間については、全部を事故による休業とすることに問題がなくはないが、前記市川病院退院時の訴外菊義の体内に金具を入れたままの状態に照らし、喀血がなくとも退院後数か月間は休業を余儀なくされたであろうと推認され、損害額の結論には影響がない。)。

(三)  慰謝料

訴外菊義が本件事故により被った前記傷害の内容、程度、治療経過等諸般の事情に照らして、傷害による慰謝料は二〇〇万円が相当と認める。

(四)  合計 六三八万九三三〇円

2  死亡による損害

(一)  葬祭費

弁論の全趣旨によれば、本件事故と相当因果関係のある訴外菊義の葬祭費として九〇万円を要したことが認められる。

(二)  逸失利益

前記のとおり、訴外菊義は、本件事故当時非常に安定した健康状態にあり、アルバイト防水工として一か月一二万五三〇〇円の収入を得ていたので、右金額を基礎とし、成人の原告と二人暮らしであること等を考慮して生活費として五割を控除し、就労可能な六七才までの二四年間の逸失利益について、新ホフマン方式により中間利息を控除してその現価を算定すると、次の計算式のとおり一一六五万二九〇〇円となる。

125,300×12×(1-0.5)×15.5=11,652,900

(三)  慰謝料

訴外菊義の死亡による慰謝料は、一七〇〇万円が相当と認める。

(四)  減額

前記二4に判示したとおり、死亡による損害(右(一)ないし(三)の合計額)について五割の減額をすると、残額は一四七七万六四五〇円となる。

四  抗弁について判断する。

1  過失相殺

(一)  《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

本件事故現場の道路は、片側三車線で中央分離帯(ガードフェンス)の設置された幹線道路であり、制限速度は時速四〇キロメートルとされている。

訴外菊義は、道路東側の市営千種荘前から、中央分離帯の切れ目を通って道路反対側で待っていた伊藤隆のところへ行こうとして、道路東側の歩道寄りの車線に並んでいた駐車車両の間から横断を開始した。

被告車と訴外菊義は、三車線の中央車線上、歩道から約五・八メートルで、かつ、歩道寄りの車線の駐車車両の西側端から三・八メートルの地点で衝突しているが、衝突地点直後から路上に残された被告車のスリップ痕の長さ(左前輪による一八・七メートル)及び乾燥した路面の状況から、被告車の衝突時の速度は時速五五ないし六〇キロメートルと推認される。また、被告の認識によれば、被告は、三車線の中央車線上、前方約一二・四メートルの地点にはじめて訴外菊義を発見し、その地点付近で同人と衝突した。

(二)  右認定の被告車の速度に照らせば、空走時間一秒以内で衝突したことになるところ、訴外菊義は、前記のとおり、駐車車両の側端から三・八メートル進んだ地点で衝突しており、人間の歩行速度に照らせば、衝突までに通常は約三秒間、仮に急ぎ足としても約二秒間は進行していることになる。したがって、衝突直前の状況としては、訴外菊義が被告車の直前に飛び出したというよりは、むしろ被告が訴外菊義を発見するのが遅れた蓋然性が高いといえる。

(三)  しかし、他方、《証拠省略》によれば、事故現場付近は、横断禁止の規制はなされていないが、現場の少し南側に信号機のある交差点があり、訴外菊義は、前記市営千種荘へ行く際に右交差点の横断歩道を通っており、事故直前にもこれを通って横断することは容易であったことが認められる。

(四)  以上の事実関係に照らして判断すると、訴外菊義には、近くに信号機のある交差点の横断歩道があるのにそこまで行かず、道路の横断を急ぎ、中央分離帯のある片側三車線の幹線道路を、しかも右方からの車両の有無及び交通の安全を十分確認しないまま駐車車両の間から横断を開始した過失があるというべきであり、他方、被告車は、前記のとおり一五ないし二〇キロメートルの速度超過があるうえ、訴外菊義の発見が遅れたこと、したがって前方不注意の過失があったことが認められ、前記事故態様、道路状況、両者の過失の内容及び程度等を考慮すると、訴外菊義の損害につき四割の過失相殺をするのが相当である。

(五)  したがって、前記傷害による損害六三八万九三三〇円及び死亡による損害(減額後)一四七七万六四五〇円の合計二一一六万五七八〇円から四割の過失相殺をすると、残額は一二六九万九四六八円となる。

2  弁済

被告が訴外菊義に対し、損害賠償として四二八万九五四五円を支払ったことは原告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす(なお、《証拠省略》によっても認められる。)。

前項の金額から右金額を控除すると、残額は八四〇万九九二三円となる。

五  訴外菊義の相続人が原告のみであることは当事者間に争いがないから、原告が訴外菊義の右損害賠償債権八四〇万九九二三円を相続により取得したことが認められる。

六  結論

以上の次第で、原告の請求は、被告に対し、右金八四〇万九九二三円及びこれに対する事故の翌日である昭和五九年九月八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 芝田俊文)

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